2010年2月27日土曜日

ボヤいてすいません

メールでおしかりを受けました。

差出人偽装で送ってこられたのでメールと返事を全文掲載したいと思います。
差出人を偽装?して送られると返事が送れないです。
この国は、差出人を偽装しないと自分の意見を言えないんだろうか。。。
責任を取れとかいいつつ、自分こそどうなんだかと思われちゃいますよ。
自分の一方的な意見を述べつつ、名無しさんでは、議論を否定したことになりますよ。
せっかく、返事書いたのに失礼じゃないですか?
なので返事を載せます。読んでからまたメールを下さい。

あと、この文章「言葉にはならない」を読んでください
http://weartheworld.blogspot.com/2009/09/blog-post_2500.html


-Nさんより------------------------------------------------------

ブログ: WeARTheWorld
投稿: くらしの豊かさ
リンク: http://weartheworld.blogspot.com/2009/10/blog-post.html

これは批評ではなくボヤキですよね。文句言う前に行動で示してみて下さい。一応、作家さんなのですから、ブログであろうが自分の発する言葉には責任を持つべきです。「言いたいことの次元は限りなく崇高でなくてはならない、本格的に自分の言語でなくてはならない。自分で考えた言葉は他人と同じ言葉になりえないが、あいまいで分かりにくい表現ではならない。」←どうしてそう決めつけるのですか?あなたは「アート」を崇高なものだと謳っているが、一方で「アート」を貶めているのでは。悲観主義者は偉いのでしょうか?観客がアホだからダメだなんて、アートの力を信じていないか、負け惜しみを言っているだけですよ。


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以下 ぼくからの返事です

Nさん(差出人不肖なので適当につけさせていただきます)へ

ご意見ありがとうございます。
リンクで送ってこられた文章は、「批評」として書いたのではありません。
タグで分類しています。タグが「批評」のものだけです。まあ、それよりも以下の部分が気に入らなかったということですよね。

>「言いたいことの次元は限りなく崇高でなくてはならない、本格的に自分の言語でなくてはならない。自分で考えた言葉は他人と同じ言葉になりえないが、あいまいで分かりにくい表現ではならない。」←どうしてそう決めつけるのですか?

なぜかと言うと、日本的な批評とか鑑賞のあり方の結果として、
あいまいなドロドロが作品が包んでいて守られていて、議論を拒否していて、
レベルアップする可能性を貶めていると思っているからです。
日本語の曖昧さも原因かもしれません。
たとえば、オバマとか言ってることが分かりやすいでしょ?
日本の政治家は煮え切らないし、うやむやというか。
「はっきり言う」ことは、軋轢もうまれることもあるし責任も生まれます。
でも、それは個人の「意見」ですし「意思」ですよね、英語って基本はYESかNOですし、
当然議論になります。でも、相手と意見がどう違うのかよくわかる過程でもありますよね。
だから、私はアートに関してもすべての気持ちや感覚を言語化する努力を行ってみると、違うレベルに行ける。
「僕はこう思ったからこう考えてこういう風につくったんだ」
「いやぼくは、それならば、こうしたほうがいいと思うな」などという議論が必要だと思っています。「ぼくは、そうは思わないから、この作家は「嫌いだ」」とか、
はっきりわかること  が
これからの日本のアート界に必要だと思っています。
その為の「言語化」の必要性をあの記事でぼくは謳っております。

あと、個人主義ベースのイギリスでは、前提として、すべての人に「自分の意見」というものが必ずあって、それは絶対に隣人とは違うものだとされています。アート教育でもそうです。徹底的に「自分」というものを意識して確立させられます。むしろそれを出来ないと「存在」が認められない社会でもあるということです。難しいかもしれませんが、「自分の意見」=「個人」=最高のもの という公式が成り立つような社会だし、アートでもそうだということです。学生の場合の一番いい評価というのは、distinctionといって自分らしさが格別に優れている。技術は2の次。ということになります。大学院ではクオリティも減価償却を含めたマネージメント能力も評価されますが。
それで、そういった自分の言葉や意見のことを「自分の言語」という風にご指摘の文章では書いています。極端な場合、文章自体が作品のアートも認知されています。古い例だとオノ=ヨーコとか、最近だとフェリックス=ゴンザレス=トレースとか。

他の文章も少しは読んでいただけたようですが、
観客がアホだなんて思っていませんし、書いていません。
あなたが、自分が馬鹿にされているように感じたからですか?
観客が育たない社会だとは思いますが、言わんとすることも、むしろ逆です。
確かに、私はアカデミック寄りの思考をする傾向はありますが、
それが、そういうように受け取られたのかもしれません。
私も作家?ですし観客ですし、市民です。あなたと変わりません。
ぼくは1市民として作品を作っていますし、発言しています。

私の論文の大きなテーマは青臭いけどもアートの民主化でした。
卒論のタイトルは、「An Investigation of the most democratic form of art」
フルクサス、反芸術、ランドアート(ギャラリーから出たアート)、関係性の芸術
留学中に、「アートを楽しむ文化」むしろ生活習慣といってもいい、
ヨーロッパ的な社会におけるアートの存在感を身にしみました。日常にアートがある生活。
貧乏な人も、障害者も、お金持ちも楽しめるアート。
日本では、観客が本格的に楽しんで鑑賞出来ていないことを残念に感じます。
主に主催者側の問題ですが、防護柵とか学芸委員の態度とかメモ禁止とか。
アート=おしゃれ?みたいなのもおかしいです。もっと血とかうんことか汗の世界です。
あとは、作家側の問題としては、観客がアマチュアだからといって舐めた作品つくってるって事です。村上隆も、国内向けと海外向けで違う説明をしていてダブルスタンダードだと批判する人もいますが、それくらい、国内の批評家とギャラリストがクズだということです。
日本だと、芸大は技術しか教えないし、美術史だと歴史(近代中心)しか学べないし、日本では、よくわからない評論家が審査員として幅を利かせています。

私は作家としては、作品=モノから脱却して、考えてもらう作品、観客が作る作品を考えてきました。アーティストの作品のクオリティは、観客に合わせてつくってきました。
レベルの問題ではなく文化の違いを把握して、国にあわせて違うバージョンもつくります。
それは、観客が「自分」で理解してもらい楽しんで欲しいからです。
油絵も描くし彫刻もつくります。

ブログには、全文掲載できないので私の論文から抜粋して載せている文章もありますし。
おっしゃられるようにボヤキも多いですが、タグで分類しています。
私の分別としてその場合は「批評」として書いていません。
全文批評として書いているように受け取られそうなサブタイトルなので修正しましょうかね。

正直な話、体を壊したこともあって、今ぼくは日本に帰ってきましたが、
何をするべきか、何からするべきかと悩むだけで、行動出来ていません。
環境を整えることが、ほんとに難しくて。東京なら、まだ友人もいるのですが。
私の海外の日本人の友人もだれも日本へは帰ってきません。
日本に自分の居場所がないんです。そばに議論できる相手もいないんです。
そして批評家として生きて行くか、作家も平行してやっていくかも決められません。
情けない限りです。

ただ、観客を育てていかないと、アートは育ちません。
そのせいで、日本は遅れています。やっと日本はポストモダンくらいのレベルです。
必要ないからアートは育ってこなかったのかもしれません、
でもこれからは必要かもしれません。
戦後「具体」という先進的なグループもありましたが、作家が社会から目をそむけた「高尚」な作品つくって、観客は彼岸だったせいで50年遅れてしまった。
ぼくは、もっと「厳しい姿勢」でアートを見て欲しいのです。
作家としても議論されることは有意義なことですから。
海外で個展をすれば、意見を言ってきてくれる、議論をふっかけてくれる、
良いところを良い、「嫌い」と「はっきり」言ってくれる。それは次へのモチベーションにも繋がるし、それを含めてアートの可能性が日本でも開花すると思うのです。
意味不明な理解不明な作品のままにしないとか、

ぼくは、仕事を辞めて
20代後半から留学して基礎から学びました。
そして、コンテクストを読めるような作品の楽しさを感じました。
芸術って理解できるんだと知りました。
そして、作品と観客は議論も出来るし共感も出来る、対話ですかね。
まるで人間同士のような感覚で向き合えるのだと気づきました。
だから、不満なんです。柵の向こうにある作品も、威張った作品も、
床でごろごろできない美術館。公立の美術館って市民の為にあるのに高いですよね。
イギリスのTATE modern, britain は常設展は無料です。
でも、世界中から人が来ますし書籍の販売や寄付のおかで黒字経営しています(そういう国策なんですが)。
それに比べて、日本はみんなの税金でバブルの時代にばかみたいな値段で作品を買ったのに!
常設展でも有料で展示するのとか あーーー。企画展(エキシビジョン)も1200円くらいでしょ?高いよなあ。 書けば切が無いですが。
私は悲観的ですが、諦めてもいないですよ。
映画「アワーミュージック」のパンフレットのなかで、ジャンリュック=ゴダールに「映画で世界は変えれますか?」という質問で、
「それは聞いてはいけない質問です」とこたえる下りがあります。
同じように、アートで直接的に誰かを救うことが出来るのか、人の為にというなら医者にでもなったほうがいいんじゃないか、目の前で自殺する友人をどう救うことが出来るのかと、
どれだけ自分の作品が社会に貢献できるのか、等々。。
貧乏と引き換えに、自由を選んだ責任として、日々働いている方々(私も派遣社員だったこともあります)にとっても楽しめる作品ってないだろうか。だって、明日のご飯が食べれない人にとってどれだけの価値があるのかと思います。
僕にとってアーティストは、身近で隣の奇人さんであり一般市民です。偉いアーティストなんているんですか?ヨーゼフ=ボイスもおっさんですよ。Jeff Koonsもおっさんですよ。

今自分の思考が、地方交付税交付金で各地につくられた銅像を全部破壊しようかと(すげー嫌いなんですよ)、vandalizeですね。怒りがモチベーションになってしまう。森村泰昌の「美の教室」とかそういう発想しちゃうのがよく分かる。そういった方向にしか考えが向かないから困ったことです。あるいみ、一番アートを愛して日本を愛して、社会に向き合おうとすると、「怒った」作品になってしまう。かつての反芸術とかみたいにね、アートの「他の」いい可能性を生かした作品を作りたいんだけれども。

だらだらと書いてしまいましたが、短いものよりも長文歓迎ですのでどんどん書いてください。意見+理由(なぜなら~だからだ!)としっかり書いて、僕の理屈をコテンパンにしてよ。大学では、そうやって叩かれるんだよ、論文担当のクソ教授に日々叩かれる。それがイギリスの美術大学。論理的に批評されて議論する場だったから。ぼくにとっては、なんか言われることのほうが自然でやる気もわいてくるんだよな。どんどん意見をお送りください。日本で私がどうするべきかのアドバイスも歓迎です(ほんとに)。ほんとに困ってんだよな生活面では、絵のフレームつくるのに業者に頼むとか無理。自分でつくるにしろ、工具が高い!イギリスは画材は高いけど、油絵の具だけは安いグレードがあってプロも大きい絵には使ってるくらいだ。高くていい絵の具ってさ、金持ちの主婦ペインターしか使わないんじゃなかろうか。。
話がそれたけど、もし論理的に批評してくれるならうれしいので、そういうのはほんとうにうれしいですよ。僕の場合。だって技術はやってれば見につくけど、議論しないと考えはまとまらないものだからさ。けっこうながくなってしまったけれど


それでは取り急ぎ 失礼いたします

宮川和久


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おーい メアド送れないぞ!しかもスパム扱いでメール来たんだけど。。。
まあ、すぐに書いたのに返信できなかったので、モヤモヤします!
この方の論調を読み直すと、どうして意見を書くと「決め付けられた」と思うんですかね。
「意見」に絶対もくそもないじゃないすか、絶対の真理みたいのって文系の世界にはないんじゃないすかね。今正しいとされていることも、わかんないですよね。教科書に書いてあることは鵜呑みですか、そうですか。信号機が青だったら自動車が来ても渡るんですか?典型的な日本の島国根性ですね。個人の意見というのは、尊重すべきものです。個人は国の宝ですよ。ぼくも自分の意見と同じくらい他者の意見も尊重します。自分の意見を自分が大事にしなくてほかの人の意見なんて聞けないですよ。。。。 ほんと、成りすましとかで送らないでください自分の意見も大事にしてください。あと、メールでわざわざ送りたいくらい「言いたい!」って思ったのなら、そう思った理由をもっともっと書いてください。あなただって言いたいことがあるなら「作品」にしたらいい。この国では、アーティストじゃないと作品つくれないんですか? もし、出来ることがあるなら協力するし。
でも、こういった形で批判されても意味が無いじゃないですか。リアクションに対しては、ぼくも全身全霊で反応しますし、そうすべきだと思っています。もっともっとしゃべりたいです。卑怯なことしないでぶつかって来てください。
お願いします。少し独善的で悲観的な面はありますが、それは性格の問題なので、「批評」では客観性に気をつけたいと思っています。

こういう考え方をする不特定多数(Nさんは文句を言ってくれるだけマシ)を相手に行動を起こさなくてはいけないということなんですかね。僕みたいなのを、勝手にタイプ分けして「ああいう風に考えるやつだろう」と思ってケチをつけるというか。。。日本語って対象を想定しないと言語化できないからかな。で、「作家さん」なんだからと小ばかにしなががら、行動でしめせ!という正論を言って、僕がアートを貶めている!なんて言うけれど、ぼくのどこが貶めているというの?一方的に勘違いをしたあげく、理由も書かずに正しいっぽい一般論?というかただの文句を言って満足みたいな。まさか、みんなNさんみたいに思って読んでるのかな。でもNさんがほんとにアートの力を信じている?というならばすばらしいと思います。こういうケチだけつけてる模範的市民か?自分こそアートを駄目にしてるって側だって気づきませんか?君にだって出来ることがあるんだよ。おまえなんかに行動しろって言われる筋合いはない。人に行動で示せという前に、小さくてもいいからアートを「高める」行動を起こしてみろよ。頼むぜ。アーティスト作品をつくりっぱなしで、観客は受け入れる(or neglect)したままで「議論」したり「批評」しないままでは、この国のアート文化に成長がないと思っています。
自分が言葉で伝えきれてないのは認めます。すいません。もしNさんに機会があるなら海外行って見ろ、大学院留学とか語学留学とかよりもバックパッカーしてみろ、俺が書いてることよく分かるから。