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2012年1月1日日曜日

あけましておめでとうございます


あけましておめでとうございます

年末に風邪を引いてしまって、
鼻血体質なので血痰が出ます。ゴホゴホ。

昨年は、サクッと禁煙出来たのですが、
毎日往復30km走っているチャリダ−としては排気ガスが気になるので、
レスプロのマスクをしていますが、地方都市なので指差し笑われることもある。 
自分のマイノリティっぷりと、日本での新しい事のやりにくさを皮膚感覚として
再確認する日々です。

昨夜「ゆくとしくるとし」が終わってETVをつけたら、
「シリーズ 原発事故への道程前編 置き去りにされた慎重論」 
が再放映されていて 焼酎を鼻から噴射しそうになった私です。
ロックだなETVは。
だけど、総合では放送できないかなしさ、二枚舌。ベロベロー

さて

現在、ETVで放送中の新時代が解く「ニッポンのジレンマ」
おもしろいですね。
自分と同じジェネレーションの論客しかいない、
「日本のOSは70年代に作られて以来アップデートされていないし、ぶっ壊れている」(宇野常寛)

もっともっとこういう場が生まれたら良いと思いました。
僕らより若い世代にとって、これからどう生きて行くのか
自身で準備するためのスタートポイントだと思いました。
見てない方は、再放送があると思うので絶対見て共有すべきレベルの議論でした。


(題字はイラストレーターのアートブラシだったかな。一本の筆跡を伸ばしたりひっぱたり、ランダムでかすれたり滲んだりしないと同じパターンなので不自然ですね。書き込んでぼかしてもいいけどそこまでやるなら最初から筆で書いてトレースしたほうがいいかな)

2010年10月7日木曜日

芸術と労働

キュレーターの遠藤水城さんのARTitの日記で紹介されていたプロジェクトとその掲示板

藤井光「アワーストライキ」
http://silentlinkage.com/archives/180

アート従事者が、こうした形で社会参加することよりも
こうした運動が珍しい気がするし、
掲示板の内容が真剣で濃すぎて私は驚いてしまった。
こういった、コントロバーシャルな作品は、反応が面白い。
議論することがおもしろい。
イギリスのターナープライズ(Turner Prize)なんか、
受賞者に関しては、毎回世論が盛り上がる。
議論することはおもしろい。

アートの関係者は、
世界的に見てもマイノリティ出身者が多いと思う。
日本の不思議系とか言われるようなアート関係者とはちょと意味が違う。
(ヨーロッパでは、日本ほど、金がなくても大学に行けることも影響か?)
もっと物理的に社会的環境的に問題があった人。
アウトサイダーアートそうだけど、アカデミックの領域でもそれは同じ。
むしろほとんどがゲイ、レズビアン、HIV、身体障害者、
サディスト、マゾヒストだった気がする。
彼らとは、とても人間らしい付き合いができた気がする。
強烈な個性を発揮しつつも、他人の個性を同じくらい認めてくれる、
傷みの分かる繊細でデリケートな彼らだった。

同じ学校に、日本人で10年サラリーマンだったペインターもいた。
サラリーマンってすごいんだなと、彼の作品への情熱を見て思った。
実際に学校のコンペで見事に優勝?した。

アートへの敷居が低くなれば、
アートの教育方法がイギリスのように論理的なカリキュラムになれば
(まじで、あのカリキュラムなら誰でもアーティストになれる)、
日本のアート、日本の社会も変わって行くと思う。

アートが、各人の思っていること、考えている事を伝える手段として機能して、
アーティストのことを僻まない社会は健全な気がする。
アートの為のアートもぼくは好きだけど、いろんなアートがあって
それが普通な社会に、日本にしていきたいなあと、
生産者である農家の方がつくったおいしいみかんを
消費者として食べながら思った。

芸術運動が社会問題への反動として起こる事って(Arte Povera?とか)、
アート作品が実社会に対して「リアル」になっていくってことだから
いいなあ!

2010年10月5日火曜日

おじゃるさま


(Youtubeでしか再生できないようになっています、反転が残念)


あの雲は かたつむり

のろのろと 空を歩く

急いだって しょうがないんだ

自分のペースで 風のままに

なぜ 人は誰かと

比較をしたり 競争するの?

なぜ 人はみんなと

同じゴールを めざしているの?

雲だって いろいろある

人だって いろいろいる


顔やかたちが 違えば 別の道

生まれて生きて 死んでく 遠まわり


これ、おじゃる丸のED曲の歌詞なんですけど、
秋本康の作詞なんだってさ
現代人のなぐさめソングはほんと得意なんだなあ、あの人は。
こういう分かりきったような、改めて歌う必要がないようなことでも、
心にしみる時がある。

そういうときは、心が秋空のように謙虚で澄み渡っている。
そんなこともないか。ないな。
でもおじゃる丸はいいよね。

サザエさんがリアルじゃない世代の大人も、見ていて安心な番組だ。


コミュニケーションに関する新しいプロジェクトを始める準備をしている。
個人情報を公開して自由にアクセスしてもらうような試みです。
アーティストというのは、公人みたいな面がある。
SNSのFacebookは実名での付き合いが行われているし、
アーティストとそのファンという関係でもフレンド登録してくれることも多い。
プライバシーの設定も出来るが電話番号すら公開もされている。
一方で日本の代表的SNSのmixiは匿名性が高い。
バイト先でいたずらしたことや未成年の飲酒、情報漏洩とかの事件があった。
匿名であることで、情報に対する責任は希薄になってしまうらしい。
その点、Facebookは実名前提だから下手な事はしないメリットがあるらしい。

とにかく、国が国民に番号を付ける前に、
個人がカウントIDとしてインターネットには存在している。
アートでもインターネットの利用は盛んだ。
情報の告知、閲覧だけではなく、インタラクティブな作品も多い。

Relational Aestheticsのようなこと(アートを介してその場で人々が直接交流する)
インターネット上ではごく自然に「間接的な交流」は発生している。
アバターを操ることも出来るし、ヴァーチャルな空間でのアートイベントも開催されている。
ネットでの会話のマナーをわきまえている世代にとっては、
実社会よりも都合が良い世界なのかもしれないと思う。

留学して、実物(本物)を間近に見ることを学んだ。
全体ではなくひとつの作品の一部を凝視してポイントをメモすることを勉強した。
だから、本物をじっくり見る事の意義はよくわかる。
実際、はっきりと細部を記憶もしている。

インターネットを通して発信することを前提にしたアート作品に対して、
接することに対してどう距離を取っていくか。
身体を感覚にどう追従させるか。
観客に想像させるような手法で作品を作って来た私に取っては、
インターネットを導入することによって、
より多くの人に、垣根が低いインフラとしてインターネットはとても魅力的だ。

ま、難しいなあ。
このプロジェクトを実行するのにあたって、
社会心理学を勉強始めたのは、いいタイミングだったと思う。
おたのしみに



2010年9月30日木曜日

映像

映像。
そして動画。 動画と書くとアニメみたいだ。。。。
映像も静止画の連続なので、広く捉えればアニメーションかな。
本当のアニメの意味は、アニマが宿ったもの。
動かない物がアニマ(生命)を宿して動くことですよね。

はい

今、映像作品をつくる準備をしています。
もうね、HD化するには 全取っ替えです。
After Effects CS5 , Photoshop CS5, Illustrator CS5 のアカデミックを買います。
(そのために放送大学に籍を置いたのは内緒です)
今だにPowerBook G4なので、 Macも買い替えです。
デジタル一眼でHD動画撮れるのは凄いですよね。
長回しはセンサーが熱でやられるらしいので、ワンシーンワンカットは難しいみたいだけど。

もともと、私は映像で生業を建てていました。
映画の自主制作なんてことを大学の頃は本気でやってしまって、
その流れで某CG会社でテレビのCGをつくっていました。
モーショングラフィックスとか、スーパーとか、スウォッシュとかいう奴です。
スポンサーロゴのパス取りもやったなあ。。。マスクいっぱい切ったなー。。。。

でも、CG嫌い! アンゲロプロスとかカウリスマキが好きな映画青年だったから当然なんですけどね。 で、いろいろ考えたあげく渡英して、 ファインアート(美術)を学びました。
PCとかのデジタル技術は作品制作へはほんとに使いませんでした。
仕事で扱ったようなクオリティのある映像は、アートだと無いんですよ。
ヴェル ビオラ?とか映像美で魅せる作家は稀です。
日本だと高木正勝とか(CG屋に取ってみれば鼻くそみたいな技術だから)。
でもアーティストというのは実はアマチュアなんです。
大事にしているポイントが違うんです。
コンテンポラリーアートにおける映像作品の大体が記録として映像、
ドキュメンテーションなのです。メディアアート的なかっこいいものは、あんまりあんまりです。技術は問題じゃなかったりします。

ま、そういうわけで、イギリスにいる時は映像をつくる気にはまったくならなかったのですが、帰国してから、今なら新たな気持ちで映像をつくれるんじゃないかと思うようになりました。不思議ですね。

私の一つ年上の師匠!の矢後智之さんは映像を作品によく使うアーティストです。
スウェーデンのヨーテボリで活躍中のようです。
なんかいっぱいコンペで賞とかもらってるしー。
映像って出品しやすくていいよね! インスタだったら機材大変だけど。

俺もがんばるどー。

2009年10月7日水曜日

くらしの豊かさ

液晶テレビからは延々とバラエティ番組、パソコンではネットショッピング、蛍光灯が眩しく部屋の隅まで照らしている日本。家電製品、調理器具は基本的に新しい。駅のエスカレーターも常に動いている、止まるのは省エネタイプの最新型くらいだ。ホームには障害者用のエレベーターもかならずある。電車は決まって規則正しく動くし、ゆりかもめの無人運転のように山手線も滞りなく動く、止まるのは人身事故が起こったときくらいでしょ。ロボットに支えられているかのようにすべてが緻密に噛み合っていく。暗黙のコミュニケーションがまかり通っていて、何も言葉を発せずとも生きていける気がする。

僕がイギリスで経験した暮らしを思い出してみよう。
万年不況だし、女王いるし、首相いるし市民革命無かったし、アメリカの属国(失礼)だし、島国根性で人見知りなので結構似てる部分もある。ロンドンは、日本はこれからこうなって行くんだろうなっていうような他民族都市だ。だけど暮らせばやっぱり違う。紳士の国なのに(本当の紳士は穴が開くことが誇りだから)シャツの袖には穴は開いてるし、袖には鼻水だってついている。すべての「新品」は高いから、古いものを長い間大事に使うからすべての家電が古いし、日本ほど新製品は気軽なものではない。そりゃハイビジョンでデジタル放送対応の大画面TVもあるけど物価から考えると日本の2~3倍の値段だ。パソコンは型落ちだし、携帯電話は、2000円くらいで買えるプリペイド方式で、通話自体も短めでショートメール中心。最近は、ようやくE-mailを受信したりインターネット見れたり,Skypeを使う無料携帯も普及している。部屋には、14インチないブラウン管のテレビが微弱な電波で通信状況も悪い(デジタル放送はきれいだけど)。天井には60Wの白熱電球か、スタンドライトだけで暖色系で薄暗い。新聞はオレンジ色に見える。エアコンはないから扇風機。冬はドライヤー以下の性能の電気ファンヒーター、ケチケチつかうセントラルヒーティング(就寝時は消す)。だから、なんら変化も進歩まない昔ながらの「湯たんぽ」は、かわいいカバーに包まれてはいるが、いまだに冬場は人気がある。家具は、良くてアンティークの戸棚や机でどこか壊れている。普通は、IKEAやARGOSの家具だ。ベッドマットはスプリングが弱っていて真ん中が凹むから逆への字になる。それでも、インテリアは素敵でDIYして自分色にリフォームしてあるから大家のセンスが良くって昔の家を改装したような物件ならとっても素敵な雰囲気だ。中産階級以上なら本物の絵画や版画が壁には飾ってあったりする。もっと上の階級なら、現代アートの立体作品が飾ってある。暮らしの中の「文化」の割合が多いってことだ。通学でTUBE(地下鉄)が動いていたら今日はいいことあるんじゃないかと思うくらいうれしい。バスも故障するし、運転手の都合で「降りろ」なんてことはざらだし。ストライキもあるし。いつも壊れている駅の上りのエスカレーターが動いているとびっくりする。でも、ホームへは階段しかない。障害者?それ以前にエレベーターはどこの駅にも無い。日本が社会的インフラの面でborderlessならイギリスはborderful社会だ。だけど(だから?)、老人がトランクを持って階段を上っていく、若い男が我こそはと手伝う。この国では、自分で自分の身を守る、体が弱ったら死を意味する。死のうと思えばいつでも死ねる。だからこそ、当たり前のように周囲が、困っている人を手伝う。妊婦が乗ってくれば、サーっと男たちが立ち上がって声をどうぞどうぞと声を掛ける。ちゃんと暮らすためには困ったら声を出すし、文句を言うし、権利を主張するし、人にも頼む、人と話すしかない。人間同士の接触が多い分コミュニケーションがある。そうせざるを得ない。「くらし」っていうと漠然としてるけど、晴れれば機嫌が良くなって公園でごろごろしたりする。幸せだ。

友達に会いにスウェーデンに行った。街が日本よりきれいだ。ごみが落ちてない。教育にお金がかからない、紙とノート、学校のコーヒーマシンもおいしいのに無料だ。インテリアも居心地がよくってリラックスできる。税金は高いから、すべてが高いけど。最低限の人間らしいくらしのレベルが世界でも高いと思う。

日本人の暮らしに対する欲望は、ロボットやロボットのように働く人々に支えられているみたいで、個人が見えにくい。みんな常識を共有している。B型は嫌われる(僕はA型だけど)。最新の家電とカッシーナの家具、流行っているからと並んで買ったIKEAの家具に囲まれるのをぼくはいいとは思えない。IKEAは北欧家具の劣化コピーであって代替品だ。イギリスには流行が無いといってもいいぐらいだ。流行だっていつだってマイノリティの所業だった。それぐらい変えがたい「自分」のセンスがみなにあるからだ。日本の観光地は飽きられるまでいっぱいだ。それよりも、晴れたら会社や学校を休んで公園でボーっとするのは結構幸せだ。イギリスでは、公園は常に流行っている。僕は人間って同じだと思ってたけど。イギリス人はみんな違う人間だと思う。イギリスには「個人」と「個人」が存在してコミュニケーションという名の議論が介在しているのだ。そして、イギリス人に「常識」なし、あるのはマナー。大事にしてる事がみんな違うから主張せざるを得ない。だからぶつかり合うし、すべてのアクシデントや遅延はイギリス人の「人間力」によるヒューマンエラーのせい。だからとーっても経済効率も悪いけど、イギリス人も不満を言いながらもけっこうあれでみんな幸せなんだってことに気づいた。文句を言う隙間の無いような社会は嫌だ。たくさんの問題があるからなのか、「生きてる」って自覚は常にした。常に1%は緊張してるのだけれども。対立があるから、返って自分の存在とか見えてくる。
そういえば、ロンドンの最初の一年は、誰も干渉してこない、構ってくれないことの開放感を味わった。自分で耳を澄まさないと入ってこない情報。常に自分が何をしたいか、それだけなのだ。まあ、長くすんでいると、そういう自由にもなれてしまうのだが。日本に帰ってきて、まず感じたのは、他人に対する視線。ロンドン時代も、「外人」としての視線は受けていたけれども、久しぶりに東京を歩いていて、日本人ってこんなに見るの?って肩身が狭いような感じがした。彼らにとって異質な「自分」を見ているのかなと思ってたけど。よくよく考えてみると、日本人は無意識的に空間にいるすべての人を把握するのだ、その場の「空気」を読むために。僕も日本にいた時は、あまりにも無意識に同じことをしていたので気づかなかっただけだ。イギリス人(違うけど)として日本に生活すると、干渉を受けている気がするし自分が溶け込めていないことの恐怖を感じてしまう(僕だけかな)。昔、British Councilで英会話を習っていたときに、スコットランド人の先生が日本はストレスフルだ。ストレスフルだ。と日々ぼやいていて疲れきっていてかわいそうだったのを思い出した。今思えば、いつも見られている感覚はキツイかったのだろう。でも、僕は帰国から3ヶ月経ってみて、またそういう視線を気にしなくなってきたようで外でもストレスを感じなくなってきつつあるし、身の回りの異質なものへ視線を飛ばしてはじめているのかもしれない。

ありきたりだけど。他人の「自分」も尊重しながら「自分」らしく暮らしていくことが出来るならば、幸せな暮らしだということなのではないだろうか。それを守るための社会であり、政治でありさえすればさぞ暮らしやすいことだろう。日本人の若者には「主張」が求められているそうだ。それは変化の予兆であってチャンスかもしれないのだけど、日本に育つ限り無いはずの「自分」なんて主張させられてかわいそうだなと思う。自分のやりたいことを見つけて、自分の判断で生活することの責任を負わせてくれるほど、日本社会は円熟していないからだ。イギリス人は自分の存在を周囲に認めさせる為に「主張」する。子供の頃から、「個人」として尊重されて教育されるようなベースがある。日本人がその場に合わせて「主張」する姿よりも、中国人が自分の利益の為だけに「主張」をしている姿のほうが国際的だと思う。協調性のある「自分」なんて存在しないのだから。日本の本格的な変化は最底辺の人々が権利を主張を始めることでしか起こりえないと思う。それは、主張しなければ生きていけない世の中へ変わるということかもしれないが。

だから、といっても、まとまってないけど。。。
日本人って技術も能力もあって、あんなに働いてるのにどうして貧しいんだろうか、そこがおかしい。イギリスは格差社会だ、日本よりそのクラスから抜け出せない。がんばれば幸せになれるという幻想を消し去って、イギリス人のように仕事を適当にがんばって余暇を旅行なり趣味なりに費やして仕事から離れることで救われる部分もあるだろう。
問題なんて世界中に溢れているし、自分の幸せに自信が持てる人なんていないとは思うけれど、これからの日本ではどうしたら豊かになれるのであろうか。僕には、日本人に突き放されたメディア(=アート)で変えていくことしか、今更いい年になってしまったから考えられない。ぼくは、日本人とってアートて楽しくもないし意味もないと思う。これは事実だと思う。だからより一層、制作者は社会との接点を求めていかねばならない。これは社会に迎合しろと言っているのではない、世界に認めさせるようなすごいもんを日本国内ででもつくってほしい。日本というアート後進国にレベルに合わせたアートもある。Arte Povera, Flux, 反芸術といった60年代のムーブメントは、恥ずかしい事だけど今の日本で完全に機能しそうであるから、それらに制作の軸を求めるのもいいと思う。まあ、急がなくとも、底辺のくらしが豊かになれば、状況も変わってくると思うのだが。