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2011年7月6日水曜日

アートで戦うこと

卒論の参考にしたブーリオへのインタビュー記事です。
最近、ちょっと用事があって資料として使ったので抜粋させていただきます。
時期的には2009年のTATEでのAlter Modern展の後です。

“現在であれば私は、別の視点から関係性の芸術を定義するでしょう。「様々な既成の芸術的方法を応用して、芸術の実践における人間性を維持し、発展させるための活動」と。というのも今日のアート界は、芸術作品を製品に変貌させ、物象化する傾向に蹂躙されているからです。私はこれらの理論を、芸術作品の直接的な人間性を伝達し、露にする方法として、改めて主張したいと思うのです。体験や出会いでなければ、何がアートなのか?”(関係性の美学と今日的キュレーション Nicolas Bourriaud interviewed by Midori Matsui, p50-51 ART IT spring/winter 2009)
コモディティのある(金銭的な価値がある)アート作品が増えてしまって、それらはプロダクト(製品)になってしまっている。しかし、新たな価値観との出会いと創造を体験することができる場こそ「関係性の芸術」だとブーリオさんは言っています。
“オルターモダニティーは、避難先としてのアイデンティとも闘わねばなりません。世界の多くの人々は、アイデンティ信奉の中でも非常に厳格なものに回帰することで、グローバル化のプロセスから逃れようとしています。それが、原理主義や国家主義を強化してしまいます。”(関係性の美学と今日的キュレーション Nicolas Bourriaud interviewed by Midori Matsui, p51 ART IT spring/winter 2009)
例えば日本人が「日本的」なアートをつくる、女性が「女性的」な作品をつくることはよく見られることです。つまり、作者自身のバックグラウンド(国籍とか)に作品のアイデンティティを求める傾向が強くなってしまっている。しかし、そういった今日の傾向はグローバル化に際しての「逃げ」だとブーリオさんは言っています。

アーティストはありとあらゆる取り巻きと孤独に向き合って、なおかつ保守的な流れとも対峙しなくてはいけないし、キュレーターもまたその流れに対峙して時代に停滞してはならないと僕も思います。そこから生まれたアートは、口当たりの良い美しい姿はしていないかもしれないけど、かっこつけない世界にたった一人の「自分」がつくったアート。勇気のいることですね。作家と観客は対等。そういうアートを認める目を持ちたいものです。

より、人間らしく 自由でいるために

芸術はこんなものだと諦めないで可能性を信じましょう

2009年7月24日金曜日

Participation edited by Claire Bishop

Whitechapel Gallery発行のシリーズの1冊。参加型アート(Participatory Art)を考える上で参考になる論文やExhibition Catalogueなどの文献を、批評家のClaire Bishop(クレア=ビショップ)が重要箇所を抜粋して紹介したずるい本である。有名所だとEcoの「Open Work」や、Bourriaudの「Relational Aesthtics」やClaire Bishop自身の「Antagonism in Relational Aesthetics」などなどの要約が紹介されており学生にはありがたい本。Félix Guattari(フェリックス=ガタリ)のChapsmosis:An Ethico-Aesthetic Paradigm (1992)や、Jacques Rancière(ジャッカス=ランシエール)のProblems and Transformations in Critical Art (2004)といったアートセオリーもしっかり紹介してあります。

<文献が抜粋されているアーティスト、哲学者、批評家>
Roland Barthes, Joseph Beuys, Nicolas Bourriaud, Peter Bürger, Graciela Carnevale, Lygia Clark, Collective Actions, Eda Cufer, Guy Debord, Jeremy Deller, Umberto Eco, Hal Foster, Édouard Glissant, Group Material, Félix Guattari, Thomas Hirschhorn, Carsten Höller, Allan Kaprow, Lars Bang Larsen, Jean-Luc Nancy, Molly Nesbit, Hans Ulrich Obrist, Hélio Oiticica, Adrian Piper, Jacques Rancière, Dirk Schwarze, Rirkrit Tiravanija

論文ではなく参加型アート(Participatory Art)の歴史や作品が知りたい方には、SFMOMAで開催されたExhibitionのカタログであるThe Art of Participation 1950 to Now published by Thames & Hudsonをおすすめします。

2009年7月14日火曜日

「Relational Aesthetics」 by Nicolas Bourriaud

Nicolas BourriaudのRelational Aestheticsは、日本語だと「関係性の美学」として知られている90年代を代表するアート本です。残念ながら、日本語訳はまだありません。ブーリオが書いたエッセーをまとめ直した都合で同じ事が何度も言い直されるなどよくまとめられた本ではないので、ART THEORYとしては役不足なのですが世界のアート関係者はみんな知っている、学生は卒論のために読むので卒論提出前に品切れになるという、初版から10年以上経ちますが、アート本では珍しいベストセラーです。私が読んだ英語訳の内容を簡単に説明するならば、直接的じゃないコミュニケーションが横行して、その不足を「補完」する場としてのアートが機能し意味を持つことが90年代のアートの特徴であるということです。ティラヴァーニャの作品が根拠になっております。

しかしながら、Claire Bishopは、その「場」に生じたという観客の関係性について「いったいどんな関係が出来たって言うんじゃい?」、「ピースフルな場って本当に民主的?」とAntagonism in relational aestheticsで突っ込みを入れております。Santiago Sierraのようにセンセーショナルで悪意に満ちた「場」をつくることによって、アートの批評性という重要なテーマを表現しているアーティストもいるじゃあないかと、諸手をあげて理想化されてしまった「関係性の美術」を批判しています。

本人もいろんなインタビューで語っているように、Relational Aestheticsは90年代のアートの分析と彼の理想が入り交じった感じなので、世界中に批判や勘違いがはびこってしまった。今現在は修正した認識を持っていて、TATE ModernのALTER MODERN展や最新の著書「The Radicant」で示したように、グローバリゼーションをアートを通して表現する必要性に関心がシフトしているようです。