2010年10月7日木曜日

芸術と労働

キュレーターの遠藤水城さんのARTitの日記で紹介されていたプロジェクトとその掲示板

藤井光「アワーストライキ」
http://silentlinkage.com/archives/180

アート従事者が、こうした形で社会参加することよりも
こうした運動が珍しい気がするし、
掲示板の内容が真剣で濃すぎて私は驚いてしまった。
こういった、コントロバーシャルな作品は、反応が面白い。
議論することがおもしろい。
イギリスのターナープライズ(Turner Prize)なんか、
受賞者に関しては、毎回世論が盛り上がる。
議論することはおもしろい。

アートの関係者は、
世界的に見てもマイノリティ出身者が多いと思う。
日本の不思議系とか言われるようなアート関係者とはちょと意味が違う。
(ヨーロッパでは、日本ほど、金がなくても大学に行けることも影響か?)
もっと物理的に社会的環境的に問題があった人。
アウトサイダーアートそうだけど、アカデミックの領域でもそれは同じ。
むしろほとんどがゲイ、レズビアン、HIV、身体障害者、
サディスト、マゾヒストだった気がする。
彼らとは、とても人間らしい付き合いができた気がする。
強烈な個性を発揮しつつも、他人の個性を同じくらい認めてくれる、
傷みの分かる繊細でデリケートな彼らだった。

同じ学校に、日本人で10年サラリーマンだったペインターもいた。
サラリーマンってすごいんだなと、彼の作品への情熱を見て思った。
実際に学校のコンペで見事に優勝?した。

アートへの敷居が低くなれば、
アートの教育方法がイギリスのように論理的なカリキュラムになれば
(まじで、あのカリキュラムなら誰でもアーティストになれる)、
日本のアート、日本の社会も変わって行くと思う。

アートが、各人の思っていること、考えている事を伝える手段として機能して、
アーティストのことを僻まない社会は健全な気がする。
アートの為のアートもぼくは好きだけど、いろんなアートがあって
それが普通な社会に、日本にしていきたいなあと、
生産者である農家の方がつくったおいしいみかんを
消費者として食べながら思った。

芸術運動が社会問題への反動として起こる事って(Arte Povera?とか)、
アート作品が実社会に対して「リアル」になっていくってことだから
いいなあ!