2009年9月28日月曜日

Artがない話

今回は日本育ちのアーティストへけんかをふっかけるような内容です。 うんと、言いにくいですが、 日本にはアートはありません。歴史上も (この辺は、文明開化、殖産興業、フェノロサ、岡倉天心とかを調べて見てください)。 技術重視の古典的で自律的なアートでも、哲学がないと、Artじゃない。黎明期の日本洋画壇の苦悩の根源には、ヨーロッパのアート哲学を一朝一夕には会得できなかったことがあるわけですが、どれほど改善されたのでしょうか。そして、時代は移ろい、現代アートは観客(意味を分かってくれる人または対立する人)がいて成立するようになりました。存在理由として社会との関わりも必要になりました。アートは一回死んで、社会と人々と交わり始めたのです。 アートってかっこいいことでもオシャレなことでもない。 日本の若い人にとって、アートっておしゃれみたいな捉え方もあると思います。 イギリスも、そういう側面もあるよでもでもアーティストは冷静に糞まみれさ。そういう意味で高尚さ。おしゃれな人もいていいけど、ホームレスと間違われるような人でもいい。 おかまでも、ゲイでも、レズビアンでも、差別主義者でも、犯罪者でもいい。 Artをちゃんとやってるならば、いつだって Coolさ。 あと作家がだれかなんてどうでもいい。 作品が気に入れば、もしくは作品がとても気に入らなくても忘れられなければ、 あなたにとっていい作品だ。作家なんてカンケーないぜ。だって、本人でも嫌いな絵も作品もあるんだぜ。自分の好きな一枚を見つけよう。 好きなアーティストなんて見つけるな。作家の個人情報なんて気にしないで、作品をちゃんと見よう。作家で作品を見ているようでは、やっとモダニズムの気配です。 50年遅れてる。 日本のアートが認知されたのは事実だけど、 日本由来の固有種として発見された新種のシカみたいなもんだ。 東南アジアの田舎で少数民族が作っている民芸みたいなもんだ。文化人類学的には。 万博のジャポニズムブームなみの内容の無さだし表層、まさにスーパーフラット。。。 言いたいことなんてない!という開き直りさえ感じる。 はっきりいって、コンテクストの開発は海外経験組が引っ張っている。 指摘されるプレゼン力の弱さだけど、どう説明すれば外人が納得するのか理解するかを理解することが必要なので、海外で個人主義ベースの論理的思考を学ぶ必要があるのだと思う。だからといって、凱旋帰国した日本人アーティストを巡回してもなあ。 ヨーロッパと日本の一番の違いは、観客だとよく言われる。一方的なコミュニケーションにさらされても「そういうものとして」受け入れてしまう日本人気質に問題がありそう。これが、馬鹿アーティストをのさばらせる原因になっていると思う。あなたがおかしいと思ったら、おかしい。専門的な知識やアートの歴史を知らなくっても、自分目線の鑑賞は出来るはず。 あ、そうだ日本人がみんな外人みたいにわからずやで個人的になればいいんじゃないでしょうか。とりあえず他人を見るの止めてみよう、空気読むのやめよう。自分はどう思うのかを追求しよう。どんどん自分勝手になっていけば、「個人」が見えてくるはずだ。何をやってもいいんだって空気が必要だ。だからって、理由無く人を傷つけたり自由は履き違えないで欲しい。 自分を大切にアートと向かい合ってみる。そうすれば、身の回りのアートに気づくのではないでしょうか。こういう観客には、半端な作品では通用しないはず。