2011年6月9日木曜日

炎上とかtwitterとか

mixiの日記でクビになった人
ブログでの炎上事件はもう昔のこと

今やTwitterで瞬時に拡散してすぐにクビになれます
フレッツ光のおかげで光速で炎上します
ひと言の不適切発言 
日本だけではなくて世界中で、つぶやきが原因で大変なことになっている人がいるようです。
社会的立場がある場合は、失う物も大きくなるようです。

炎上は、不適切な発言や行為が原因だとしても、
「正義を騙った匿名の集団が、不適切発言(書き込み)をした個人を集団リンチにすること」みたいになりがちです。

中国人が日本を羨ましがっている点の一つは「日本では気軽に政権批判出来る事」だそうです。どれだけ言いたい事言えるか、言っても許されるのかによって 
「自由」を計る事が出来るという例でしょうか。

しかし、アニメのフィギュアを齧ったらおくさんのblogが炎上とか
ほんとうにどうかしてると思いました。そもそもフィギュア持ってるのは何故だ。。。

僕みたいな、半端アニメ好きが言うのは何ですが。オタクエリートにとっては、自分が好きな物を他人が好きじゃないなんて「当たり前」ですよね。
「これは生涯賭けて愛すべきだという作品に出会った時、そしてその面白さが自分だけでなかなか周りに伝わらない時、その魅力を全身全霊込めて一生懸命語ろうとして初めて「オタクのはじまり」と言えます。」とtwitterで呟いていらっしゃる方がいました。

誰かが「好き」といったら 他の誰かが「嫌い」と言ってこそ、反対意見を言えてこそ健全だと思います。日本では、twitterでも空気を読み合うのが当たり前のようになっていて、ムラ社会化している悪い面が、炎上事件でクローズアップされている気がします。仲間意識が間違った方向で団結するのは気持ちの悪い事です。炎上といっても、数の暴力なわけで、、、。 炎上が悪いというより、炎上した場合の被害者って本当は誰になるのか。
よく炎上?している東さんがおっしゃっていましたが、Twitterは空気を読み合うようになっているので、批評家とかはある程度距離をとらないと何も言えなくなってしまうんじゃないか と。

僕自身は、「自分の意見」がほんとうに存在するのか?という哲学的問題は置いておいても、個人の意見が人の数だけ個別化して細分化していくことを体感していくことが、日本文化にとってプラスだと考えます。共通点を探して連帯したり排除する時代から、お互いの違いを認めて尊重しあうステージへと入ったのだと思います。

匿名メディアから実名メディアへの過渡期。匿名じゃないと言いたい事言えないよ!なんて情けないことは言ってられないようですよ。

中東のジャスミン革命でも大活躍したFacebookですが、同じくらい遅れている日本の個人主義は、実名メディアによって進んで行くのかもしれません。

他のメディアと同じように、インターネットでも煽動出来るし、バイアスフィルターはしょうがないとしてもソースがはっきりしないと見る気にもなれません。

むしろ膨張したポピュリズムが、匿名という無責任が、民主主義を駆逐しかねない状況になっていると思います。矢面に立てば、匿名の人々に叩かれる。

炎上という言論統制の果てに何が残るのか、疲弊して消費尽くされる前に考えないといけないのかもしれません。

匿名じゃなくても言いたい事が言える社会に日本も変わって行くのかな

サイデル教授の白熱教室が流行りましたよね。あれって、議論のレベルはともかくとしても欧米の大学では普通の授業形式です。僕が学んだファインアートでもクラスメイトとの議論主体です。技術とかの授業はありません。空気とか読んだら発言出来ないし。発言しない奴は存在してない的な厳しい場でもありました。だから、炎上じゃなくって白熱になったら良いと思うんですよね。

はっきり意見を言わない人が生き残る社会だったと思うのですが、若い人の間では変わってきているとぼくは感じています。

萠から燃えへ ゴウゴウゴウ