2011年7月26日火曜日

ホスピタルアート

今更ながら毎日20人もの方がこの記事にたどり着かれることを驚きつつも、ホスピタルアートの現状について思った事を追記(2011/12/31)しました。

先日、版画家の山本容子がホスピタルアート先進国のスウェーデンを訪問した番組がNHKで放送されていたので見ました。

ホスピタルアートは病院に飾ってあるアートのことですが、
院長先生のコレクションとか趣味とかいうレベルじゃなくって、
患者の為にあるもののようです。

スウェーデンでは病院の建設費の1%をアートに使わなくてはいけないそうです。巨匠の作品が1点あるわけではなく、無名の作家達の1点ものの作品が廊下から放射線治療室の天井からありとあらゆる場所に飾ってあったり、空間展示してあります。日本の儲かってる小児科のようにかわいらしい絵がインテリアとか壁紙のデコレーションとして置いてあるのではありません。もちろんプリントとかコピーではなく本物の作品が置いてあるのです。

私はイギリスで入院したことがあるのですが、国立で治療費の安いNHSの病院よりもプライベートの会員制の病院でそういうアートは多かったと思います。短期入院だったので意識して見た事は無いけど、有名な作品はないけど場所があればなんか置いてあるという感じ。ぼくのいた美大でも、学生有志が病院で展示したりしていました。日本でもあるのかな?

番組で山本氏と話をしていた病院専属のホスピタルアートのアドバイザーの方によれば
患者目線に関しての考えが徹底していて、小児科だからとか、大人だからとか、精神科だからとか固定概念に捕われないほうが良いそうだ。
小児科に置かれたシックな色のオブジェに対して山本容子が「子供には地味すぎないか?」と、しつこく突っ込んでいたけれど(つくる側には結構気になる)、
アドバイザーに言わせれば「落ち着いた色ならば、子供が色になります」だそうだ。
これは結構いいポイントだとぼくは思いました。アジアと違って欧米では個人主義ベースの教育なので、子供にも大人と対等な人格が認められてるんですよね。子供っぽい「色」を押し付けられる筋合いは無いということ。同じように大人だっておもちゃ好きだしゲームしたいよね。日本では、ホスピタルーアートと称して大人がそれっぽくデザインした童画で病院をデコレーションするのが流行っているようですが、それはインテリアデザインであってアートではないしスウェーデンのものと全然違います。

ぼくらの多くは病院で死にます。しかも、そんなにポックリは死ねません。
たぶんVIPルームとかではなく大部屋で。
ぼくは貧乏だけど殺風景な場所で死ぬのは嫌だ。と一瞬想像して思った。
そういうときに快適に過ごす事が出来るということは、間違いなく日本に足りてない豊かさの一つだろう。
長生きしたり、闘病したり思う存分最後までしたいし、それには社会インフラだけではなく文化的によい環境がそれには必要だ。
ゆとり世代のなにがいけないの?ゆとりがあるって良い事だよ。良い意味の言葉を皮肉に使うのは良く無い。年寄りの自殺も悲しいし、年寄り早く死ね!社会の負担なんだよ!的な世代間の対立を感じていますが、余裕がないんだよね社会に。中国のことを笑えないよ。

特定の政治家、官僚、業界の利権が得られるような物質的な社会インフラは整備されてきましたが、文化的な暮らしに直結する分野がスッポリ抜け落ちている気がします。日本中に美術館がありますが、肝心の企画展はどうしようもないし、観客は作品へ近づけないですよね。巡回展とか一回成功した企画が地方へ回ってくる。そんなのは価値を作り出してるのではなく消費してるだけだ。最高の、一期一会を企画せよ。

私自身が、スウェーデンに旅行した際に、確かに物価(税金)は高いけど、街が清潔できれいだと感じた。なぜだか分からないが日本より「豊か」だなとおぼろげに思ったのだけど、根底には社会福祉という一言では言い表せない生きる事へのサポートがあるのだとホスピタルアート先進国としてのスウェーデンをこの番組で知ることによって改めて思った。アート作品が病院にあるということは、視覚的な豊かさだけではなくって「そういう配慮の存在」によって私は社会から見捨てられていないのだと感じられるのではないかと思った。入院してふと作品に出会う、そんな時はヘンテコな作品を前にしても私はめそめそ泣くかもしれない。作品の有名とか無名とか関係ないんだよね。単純に「アートが病院にあるから豊か」なのではなくって、弱い立場にある人たちへの配慮があるからこその豊さだと、この番組を見て思った。とにかく、人生の最後まで、個人の人格に尊厳があることは良い事だ。

例えば、この番組のようにスウェーデンのようにホスピタルアートを推進すれば「感じる豊かさ」を感じさせてくれるのではないでしょうか。ホスピタリティのある病院って素敵だね。


追記(2011/12/31):ホスピタルアートで検索すると、小児科病棟のかわいいイメージが日本語圏ではヒットすると思います。番組の中でスウェーデンの責任者の方もおっしゃっていましたが、「子供向け、大人向け」みたいなのって、大人が勝手に思っているだけではないでしょうか。こどもはあざとく、例えば壁紙の、そのストーリーを見ていますし、もし矛盾したり破綻してたりすると「嘘」だと見抜きます。壁に描いてあるのは「模様」なのか、読むべき意味のある「絵」なのか。ぼくがなにを言いたいのかと言うと、一見「かわいらしい」「当たり障りの無い」もので壁を覆って満足しないでほしいということです。それは不勉強な大人の自己満足じゃないかと。それっぽいものを小児科に飾る風潮はおかしい。その機関車の線路にどういう意味があるの?動物の絵 かわいいね でも何いいたいの? アートとデザイン的なデコレーションをごっちゃにしないで欲しいということです。今、日本で普及して来ているホスピタルアートは、実はホスピタルアートではなくって、ホスピタルインテリアとかホスピタルデコレーションなのではないかな。もちろんすべての病院に病棟にアートもしくはデザイン的な装飾はあって良いと思うのですが、アートはそんなペラペラじゃないです。ぼくは そういう立場です。 当たり障りの無い、無くても良いようなものは、アートじゃない。存在の無意味の意味の無意味の意味(タカシ風w)はやっぱり無いよね。いっぱい感じれていっぱい考えるのはクソみたいにムカツク作品かもしれんしね。 ちょっとこれから「ホスピタルアート」を病院へ導入される方は考えてみて下さい。子供のこともアートの力も舐めたらいかんぜよ。

2011年7月6日水曜日

♥リッファレンスはしっかり♥

アートという魔法を使うには、それと引き換えに背負ってしまうHistory of Artの重みに耐えなくてはいけません。例えば、オノ・ヨーコと今自分がやっているアートがどのように繋がっているのか考えてないといけないのです。畑を広げてきた先駆者や芸術運動があったことで、あなたのアートに意味が生まれているのです。だからといって、理論とコンセプトでガチムチのまっちょになってしまうのは下品ですね。上品なインテリジェンスとユーモア、無駄のない筋肉とスマートな動きで、スーパープレーを世界にお見舞いしてあげましょう

アートで戦うこと

卒論の参考にしたブーリオへのインタビュー記事です。
最近、ちょっと用事があって資料として使ったので抜粋させていただきます。
時期的には2009年のTATEでのAlter Modern展の後です。

“現在であれば私は、別の視点から関係性の芸術を定義するでしょう。「様々な既成の芸術的方法を応用して、芸術の実践における人間性を維持し、発展させるための活動」と。というのも今日のアート界は、芸術作品を製品に変貌させ、物象化する傾向に蹂躙されているからです。私はこれらの理論を、芸術作品の直接的な人間性を伝達し、露にする方法として、改めて主張したいと思うのです。体験や出会いでなければ、何がアートなのか?”(関係性の美学と今日的キュレーション Nicolas Bourriaud interviewed by Midori Matsui, p50-51 ART IT spring/winter 2009)
コモディティのある(金銭的な価値がある)アート作品が増えてしまって、それらはプロダクト(製品)になってしまっている。しかし、新たな価値観との出会いと創造を体験することができる場こそ「関係性の芸術」だとブーリオさんは言っています。
“オルターモダニティーは、避難先としてのアイデンティとも闘わねばなりません。世界の多くの人々は、アイデンティ信奉の中でも非常に厳格なものに回帰することで、グローバル化のプロセスから逃れようとしています。それが、原理主義や国家主義を強化してしまいます。”(関係性の美学と今日的キュレーション Nicolas Bourriaud interviewed by Midori Matsui, p51 ART IT spring/winter 2009)
例えば日本人が「日本的」なアートをつくる、女性が「女性的」な作品をつくることはよく見られることです。つまり、作者自身のバックグラウンド(国籍とか)に作品のアイデンティティを求める傾向が強くなってしまっている。しかし、そういった今日の傾向はグローバル化に際しての「逃げ」だとブーリオさんは言っています。

アーティストはありとあらゆる取り巻きと孤独に向き合って、なおかつ保守的な流れとも対峙しなくてはいけないし、キュレーターもまたその流れに対峙して時代に停滞してはならないと僕も思います。そこから生まれたアートは、口当たりの良い美しい姿はしていないかもしれないけど、かっこつけない世界にたった一人の「自分」がつくったアート。勇気のいることですね。作家と観客は対等。そういうアートを認める目を持ちたいものです。

より、人間らしく 自由でいるために

芸術はこんなものだと諦めないで可能性を信じましょう

2011年7月3日日曜日

モノクロレーザー複合機のコピー用紙

プリンターをBrother A4モノクロレーザー複合機 JUSTIO 26PPM/ADF DCP-7065DNに買い替えた。

ついでに紙も買い替えた。500枚で500円ちょいと安くて評判も良いので、KOKUYO KB用紙(共用紙)(FSC認証)(64g) A4 500枚 KB-39Nを買ったのだけど、コスト重視で普段使いにはこれでも良いとは思ったものの、少し黄ばみが気になってしまった。

そこで、もっと白いものはないかなーって思って見つけたのが、CANON スーパーホワイトペーパー A4 両面厚口 SW-201A4
一枚あたりの値段はKokuyoの物に比べると倍近くする。気になる白色度はKOKUYOのは80%だったが、CANONのものは95%、例えるならば売れない文庫本と新刊の単行本くらい白さが違う。レポートとか人に見てもらうような文章にはこっちが正解だと思う。一応カラーのインクジェット用なのだけど、レーザープリンタで問題なく使える。思ったより厚く無いし安いし用途を選ばずコストパフォーマンスが高いと思う。

紙もまとめて買うと重いしかさばるので抱えて帰って来なくて良いので助かりますね。Amazonだと価格は最安値で一つ買っても送料無料とか…すごい時代になったものです。


 

参加型アートに関する本の紹介

participationタグで分類している三冊の本ですが、紹介を少し加筆しました。Participatory Artというのは参加型アートのことです。ちなみに、participationは「参加」という意味です。

1.「The Art of Participation 1950 to Now」 published by Thames & Hudson

2.「Participation」 edited by Claire Bishop

3.「The Open Work」 by Umberto Eco